最近の社会記事は、細部のこだわりしぎているのはないでしょうか。

社会を一つの体に置き換えれば、各事件というものは、社会という有機体の生命活動を揺るがすものかどうかという判断を加える必要がでてきます。特に、「憲法改正」問題は、だれもが関係する問題です。憲法改正に関してもコメントしているのは、改正賛成はばかりで反対派は、ほとんど蚊帳の外です。しかも表現がとてもソフトになってきた点が疑心を呼びます。曰く「憲法改正は、是非とも必要です。ただその議論の際、良識をもって実のある話し合いをすべきです」みたいなことを主張しています。これでは、前提が憲法改正で、では、どう改正すべきかという飛躍したことになっているわけです。特に、改正の必要性として、「自衛隊問題」を挙げてますが、現憲法でも「防衛」は、いいことになっています。それでは、不十分だという見解があって、改正しようといっていることがわかります。ということは、「防衛」以外になにに自衛隊を使用したいのか、というのが議論すべき論点になるはずです。しかし、そうした議論を表明している報道を私は見たことがありません。なぜですか。なぜ、改正しなければいけないという前提が議論の中心にこないのですか。その話になると、尖閣諸島では、中国軍が戦闘機を飛ばしているという話にすり替わるようです。「防衛」権は、今の憲法でもいいわけで、先に手を出したのですか、そのための改正ですか、となぜ、質問しないのですか。銀行カードローン審査